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まともに剣道を教えてもらったこともなかった高校〜大学時代。息子のやる気にしぶしぶ・・。
〜とりあえず序章として、剣道との出会いから〜

#1 小学校5年生の時、剣道を1年間だけ。

私が生まれ育ったのは広島県は広島市です。家の近所にあるスーパーの店長さんが小学校の体育館で剣道の剣友会を主宰していて、私の母がパートでお手伝いをした際に、ぜひどうぞと誘われたのでした。私は小さい時からいわゆる「お受験」組で、小学校は家からバスで40分もかかる広島大学付属東雲小学校という学校に通っていたので、近所に友達もなく、ハッキリ言って休日は暇なのでした。体は小さいし痩せっぽちでしたが運動には少々自信がありました。小学校でのクラブ活動はサッカーをしていて、すばしっこいので左のフォワードでした。そんな時に剣道をやらないかと言われて、「そんなもん、楽勝じゃー」ぐらいのノリで始めたのでした。

数カ月の基本稽古を経て、防具をつけての稽古へと順調に進みました。今考えると、5年生から始めるなんて、小学生としては遅い方ですから、低学年に比べたらそりゃ覚えも早いですよね。

ある時、剣友会の中で全員参加のトーナメント大会がありました。1年生から中学生まで全員でトーナメント戦をするわけです。私にとってはもちろん初めての真剣試合。中学生や小学生の高学年はシードされていますが、私はまだ防具を付けて1年も経っていなかったので、ノーシード。その大会で、なんと準優勝してしまいました。決勝では中学生に負けてしまいましたが、「防具を付けて間もないのにすごい!」と、大殊勲と褒められるのでした。

しかし、6年生になる時、また受験が待っているということで、塾に通わなくてはいけないと強制退会。たった1年間の剣道体験に終わるのでした。しかし、トーナメント大会でたくさん勝った喜びは、私の中にキョーレツな印象として残ることになるのでした。「俺は剣道もなかなかのモンじゃ。」と。


#2 トーキョーの中学生になって。

エスカレーターで中学に上がれるにせよ、せっかく試験に合格して中学校に合格したのに、あろうことか父の転勤東京に引っ越すことになりました。私にとっては寝耳に水! もう何のことだかわかりません。泣いて抵抗するも仕方ありません。武蔵野の公立中学校、武蔵野市立第一中学校に進むのでした。

入学するはずだった中学では剣道部がなかったので、サッカー部に入るつもりでしたが、武蔵野の公立中学校には剣道部はあるのかな? 5年生の時の中途半端な剣道体験もあり、剣道部でもいいなと思っていました。が、しかし、聞いてみると、部員不足で廃部になったとか。じゃ、野球部に入ろうかな。友達と説明会に行ってみると、「野球部は全員丸坊主にしなければいけない」と。ガーン!まる、丸坊主!? この俺が!?! い、いやだー! そんなわけで、速攻サッカー部へ。結局は元のさやへ戻り、3年間サッカー三昧となるのでした。

サッカーでは、小学生時代と同じ左ウイング、今で言うと、フォワード3トップの左ってポジションで、武蔵野市では敵なし! 武蔵野三鷹地区大会でも1位2位を争うほど。勉強はしなくてもテストの点はそこそこ良かったので、もう狂ったようにサッカーをしていました。


#3 高校は再び広島へ

中学生活も後半は高校受験の試練が来ます。私は都立高校の受験勉強にいそしんでいました。受験する学校も決まり、さあラストスパートだという時に、なんとまた広島へ帰らなくてはいけなくなりました。しかし、ここで問題が発生するのでした。都立の試験は英数国の3科目なのに対し、広島の公立高校は理社を含めた5科目! そんなの聞いてないよ! 情けないやらうらめしいやら。突貫工事で勉強し、なんとか第一希望の高校、広島市立舟入高校へ行くのでした。

高校では、迷うことなくサッカー部へ直行しました。武蔵野市で敵なしだった自信がそうさせたのでした。しかし、入ってみると、私よりウマい人がたくさん居るし、練習もキツいとのウワサが。監督の先生も厳しそうです。それでも広島の中で強ければやりがいもあろうというものですが、そうでもないとかなんとか・・・。なにより、レギュラーになれそうもないし…。世の中そんなに甘くない! じゃ、剣道部に変えるとするか。先生に言ってサッカー部を退部し、その足で剣道部に行きました。

久しぶりの剣道だ。わーい。「じゃ、新入部員は走ってこい!」 「はーい!」 ケッ! サッカー部の練習に比べたら屁でもないぜっ! 「よーし、次は声だしだ!」 ゲゲッ! 何だよそりゃ?? この剣道部、顧問の先生はいるものの便宜上の顧問で、教えてくれるわけではないのでした。よって全て先輩から教えてもらうのでした。

いつになったら竹刀を振らせてくれるんだ!! ざけんじゃねーぞ! 全く理にかなってないじゃないか! こんなのただのイジメだ! 私は先輩と激しい言い争いをするのでした。私のあまりの見幕に先輩の部長もムキになって言い返します。部長としての尊厳がかかっていますから。「何や生意気なことゆーなや!」 「そーゆー先輩は何すか!先輩ズラっすか!」「もう一回ゆーてみい!」 もうつかみあい寸前! しかし、殴り合いにならなかったのは、ここが少々品のいい公立高校だからでしょうか。

それから1年間、私と3年生の先輩との険悪な関係は続くのでした。防具を付けてからも、私の態度が気に入らない先輩は初心者の私に突くは、わざと打突部位をはずすは、のやりたい放題! しかし、私もくやしいから応戦! ほとんど毎日こんな調子した。こうなるともう剣道じゃないです。 基本も何もあったもんじゃない! 激しい言い合いになって、先輩が涙目になりながら怒鳴っている顔が今でも忘れられません。先輩も恐かったんでしょうね。私もこの頃は少々自暴自棄なところがありましたから、ハハハ。

高校時代の唯一の試合のフォト。

なんだろなぁ??これって???

小手抜き面を決められる直前!?!?


高3の時の集合写真。バカ丸出し・・。

胴衣を着ているのが同級生。あと3名いますが、なぜか写ってないですね。

今では校舎も建て代わり、カリキュラムも大幅に変わって偏差値もアップ! 全く別モノの高校になっているようですね。当時の私の学力では、今では入学困難か・・・。

 

その後、2年生の時に初段に昇段しました。高校時代の戦績はあまり覚えていませんが、覚えるまでもなく、たいしたことはない戦績です。はっきり言って、勝った回数なんか片手で足りるほどでしょう。

2年生の時だったか、体操部の顧問をしている体育の先生から「体操部に来ないか?」と誘われました。体操部も部員不足なのでした。私は体育のマット運動とか鉄棒とか跳び箱とかが大好きだったのです。「僕、剣道部なんすけど」と言うと、「何を言ってるんだよ!両方やればいいじゃんか!」「へ!?そ、そんな…」でもあの変なパンツ変なシャツを着る勇気はさすがにありませんでした。丁重におことわりをして、剣道だけに励むのでした。

高段者の先生に教わることはありませんでしたが、同級生と技を磨き合ったりして、それはそれで楽しい高校剣道時代でした。最初の1年を除いて。


#4 大学は再び東京へ

美術系大学の東京造形大学に進学した私は、東京で一人暮らしを始めるのでした。クラブ活動がしたかった私は、またまた剣道部とサッカー部を天秤にかけようと考えました。まず剣道部の見学をして、次にサッカー部の見学をしようと。剣道部に見学に行くと、もうワナが待っていました。「よし、おまえら自己紹介しろ!」「まだ入部するかどうか決めてないんですけど…」「もう入部だ!いいからしろ!」んまいっか。悪くないしな。こうして剣道部に入りました。が、しかし、ここでも先輩から教えてもらうこととなり、ちゃんとした剣道を教えてもらうことはありませんでした。

東京芸大、多摩美術大、武蔵野美術大、日学芸術学部、そして東京造形大の5美大による通称「美大リーグ」というリーグ戦があって、定期的に試合がありましたが、造形大は慢性的な部員不足もあって、個人戦で突出した成績を収める先輩はいるものの、団体戦では見るも無惨な成績でした。私自身も、美大リーグでは2回ぐらいしか勝った記憶がありません。たった2勝!ハハハハハ! しかし、それはそれとして、部活動としては人間関係も広がり、すばらしい先輩とも出会うことができ、有意義なものでした。かみさんと出会ったのもこの剣道部ですから、運命とは恐ろしいものです。

2年生の時に二段に昇段しました。


試合の写真は下のたったの2枚だけです。たしか写真の授業を取っていたマネージャーが撮影したもので、意図的に白黒写真で撮影されていますがそんなに大昔じゃありませんぞ。

1987年あたりでしょうか。多分3年生の時だと思います。第35回関東芸術系大学剣道大会でのひとこまです。ただし、1本がとれたかどうかは不明なので、あしからず…

 

1 美大リーグにて(出ばな小手を放ったところ)

2 美大リーグにて(面を放ったところ)

1987 笑撃試合映像!21歳(たぶん)のわたし!


#5 社会人になって1度復活するも…。

大学を卒業してからは、全く剣道とは疎遠となっていました。防具も後輩に貸し出したりたきり行方不明に。会社を辞めてフリーになり、馬車馬のように働いていた時、高校時代から全く変化のなかった55キロの体重に思わぬ変化があり、非常に焦るのでした。結婚をして太るのなら分かりますが、逆にガクンと痩せたのです。53キロになり、「あれ?おかしいな?」と。そして52キロになった時、「やばい!」と。普通なら「ビョーキかな?」と思うところでしょうが、私は「運動不足だ!」と思ったのでした。そして、「剣道でもするか!」となるのでした。近所の防具店で剣友会を教えてもらい、さっそく入会したのが大泉剣児会という剣友会でした。大学の部室で私の防具を探し出し、小手を修理して竹刀を買って…。久しぶりの剣道は楽しかったのですが、その頃は仕事が本当に忙しく、入ってみたものの体力的にもスケジュール的にもかなりつらい状態なのでした。そんなこんなで、月謝や何かで迷惑をかけるのも悪いと思い数カ月で退会するのでした。


#6 草サッカーで大怪我

すると今度は、知り合いの人から草サッカーチームに入らないかという誘いがありました。サッカーかぁ、うれしいなぁ。いいかもしれない! と、さっそく入れてもらいました。が、4〜5回目の試合の時、ゴール前で転倒! 右足首靭帯部分断裂!これはホントに痛かった!! 骨折も入院もしたことのない私にとって、人生最高に痛い怪我でした。この右足の怪我は、実際完治するのに、3年ぐらいかかりました。よくスポーツ選手が怪我をして「驚異的な回復!」などと書かれていますが、はっきり言ってそんなの信じられません。3年ですよ3年!! 今でもちょっとしたことで、すぐに捻挫してしまいます。関節がユルユルになっちゃったんでしょうか。今ではスポーツをする時にはテーピングは必須です。


#7 2度目の復活も…。

娘が小学校に入った時、娘の小学校の体育館で毎週剣友会が稽古をしていると聞き、足の具合も良くなったので、見学に行きました。それが東大泉剣友会という現在お世話になっている剣友会なのでした。そこで、私は目からウロコの教えを受けるのでした。今までは先輩から教えてもらっただけの、ハッキリ言って『自己流剣道」だったわけです。しかし、この剣友会の会長 i 先生の教え方が実に巧妙かつ的確! 私の今までの剣風がガラガラと崩れ落ちていったのでした。なんと言っても「あのね、そんな剣道してたらカラダが持ちませんよ、もう年なんだから」と言われて、「んー、確かに!」

1年ほど通いましたが、やはり仕事が忙しく、休むこともたびたび。また、父母会の方がしっかりと運営していて、練習日の変更などを丁寧に電話で連絡してくれるので、少々気後れするのでした。もう少し仕事が落ち着いたらまたやろう! そう心に誓って退会するのでした。


#8 草サッカーに草野球とやりたい放題!

2002年、仕事関係の知り合いが、草サッカーチームを作ったけどやらないかと誘ってくれました。実のところ、前のサッカーチームはあまり性にあってなかったので、このチームならおもしろそうだと、またまた入れてもらいました。それが「東京クッキーズ」です。

ここはメインがおじさんチームなので、勝ち負けよりも「おいしいビールを飲もうよ」がコンセプト。力まず気張らずちょうどいいのでした。

また、野球もやりたい!というメンバーの声があがり、草野球チームも結成! 仕事は以前の激痩せするほどの超激務に比べたら落ち着いた感もあり、ゴルフと無縁の私には都合のいいレクリエーションなのでした。

←面を付けると怖いものが怖くなくなるのは、剣道の賜物か?

よって、キャッチャー! 一人だけ大汗をかいてました・・。

ちなみにウチの息子は保育園の時からキャッチボールとサッカーを教え込んでいたので、3年生になったら野球でもサッカーでも好きな方をやればよいぐらいに考えていました。ところが・・・・


#9 息子がやるなら3度目の復活。

娘はバレーダンスを習い、、学校では合唱団と超忙しの6年生、息子はな2年生。毎週のように私と2人で公園に行っては野球とサッカー三昧。フリスビーをベース代わりにして野球をします。保育園の時は下から投げて打たせてましたが、1年生になってからは上から投げて打たせて、2年生になってからは軟球でカウント有りじゃないとこちらがバテてしまいます。当然ヤツはフルスイングOKで私は当てるだけですから、夏などは滝汗です。しかし、私が仕事で週末に遊んでやれない時などはを持て余している様子なのでした。

「じゃあ剣道でも見学してみるか?」剣道は1年生からでも入会できるのでした。私は息子が剣道をするようなタイプとは到底思えなかったので、無理強いをするつもりもありませんでした。

しかし、見学したあと「どうだ?やってみるか?」と聞いてみると、「やる!」との返事が。「え?マジで? 3年生になってから野球とかサッカーとかじゃなくてホントにいいのか?」「ウン、いいよ。」「ホヘー!そーかい。んじゃしょーがねーな、おとーさんもやろっかな。」

5年ぶりに再び東大泉剣友会に入会するのでした。まずは三段目標だ! というわけで2002年7月に三段に昇段! 息子もどんどん剣道にはまっていっているわけです。


#10 
さあ、ここから先は「不定期稽古日誌」をご覧いただくとしましょう。
※現在は「不定期稽古日誌」は書き込みを休止しております。過去の記事の閲覧は可能です。2011.11

 

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